杉並わくわく会議・松尾ゆりは2月17日、杉並区議会で一般質問に立ちました。議会での質問を三つに分けて紹介します。これは草稿で実際の発言とは一部異なる部分がありますのでご了承下さい。
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2.ボランティアと協働について
●長寿応援ポイント制度とは
2番目にボランティアと協働についてうかがいます。
杉並区は、協働ということが好きで、地域との協働とか、ボランティア、NPOという言葉がよく出てきます。しかし、近年、和田中地域本部とか、なんとかを見ていると、ボランティアなのか何なのか、だんだんわからなくなってきました。いったい、ボランティアとは、協働とは何なのか、2つの事例から考えてみたいと思います。
まず、来年度予算で提案されている長寿応援ポイント制度です。第一に疑問なのは、区が、この制度を活用して、福祉の向上を目指しているとしても、ボランティアが増えたからといって、本当に福祉の質がよくなるとはいえないのではないかということです。
福祉現場の厳しい現状は周知のことですが、それを解決するのは、お金と人です。ボランティアがいても、できることは制限されています。そもそも、ボランティアはできる時にできることをするのであって、戦力としてあてにすることはできません。「ボランティアは福祉制度の根幹を担保するものではない」ということが指摘できると思います。
むしろ、ボランティアをする側の高齢者の方々の、活動の活性化、いわば介護予防のほうに主眼があるのでしょうか。確かに、生きがいを持って積極的に外出されるのはいいことだと思います。しかしその場合、ご自分のために活動するのに、換金できるポイントをさしあげるのはいかがかなものでしょうか。どうも、この制度はそのあたりの整理ができていない感じがします。この政策の目的と理念についての見解を求めます。
●本当に困っている人が排除される
第二に指摘したいのは、この制度が、本当に困っている人たちをあらかじめ排除しており、元気な高齢者にしか恩恵がないということです。高齢だが経済的な理由で働かなくてはならない人や、ご自身が介護が必要な人は、ボランティアをすることができません。しかし、そういう方こそ、実は最も福祉を必要とする人たちです。
「生き生き元気に生涯現役」な人にはポイントというごほうびが与えられるが、最も福祉の必要な人には恩恵がない。ボランティアのできない人にはごほうびもなければ、お世話になっても肩身が狭いということになってしまいます。ボランティアをすることが条件で恩恵を与えられるという制度は行政としてはどうもおかしいのではありませんか。
●自分のためのボランティア?
また、ボランティアの理念、精神という点からも、この制度には疑問があります。杉並区にはかつて「さんあい公社」がありました。公社ができるとき、区内のボランティアグループからは、ボランティアを行った時間数を自分の利用時間としてためることのできるさんあい公社の制度は、他人のために行うボランティアの精神に反し、ボランティアの理念を崩すものだという指摘があったとうかがっています。
また、ポイント制度を実施したある自治体では、高齢者サービスのみがポイント制度の対象となったため、それまで障害者施設でボランティアをしていた方たちが、介護施設のボランティアに移ってしまい、ボランティアが減ってしまうという現象も起きたそうです。ボランティアの理念が崩れてしまった例です。本当に福祉の必要な人が排除される制度であるという矛盾、またボランティア精神に反するのではないかという疑問、こうした点について、区としては、どのように考えているのかをお聞きします。
●広げすぎて混乱しないか
さらにポイント制度の実務上の問題についてお聞きします。
先日、私は、ポイント制度の草分けである稲城市にお話を聞きにいきました。稲城市の場合には、市長が指定した介護施設で、指定された仕事をした人がポイントをもらうもので対象範囲はかなり限定されています。ポイント交換も口座への振込みに一括されています。
一方、杉並の制度は、保育や防犯など多くの分野をポイントの対象とすることを検討しているとのことです。また、ポイント活用も商品券のほか寄付も検討されているとのことで、かなり煩雑なしくみになりそうです。また、稲城市の場合は、ポイント制度の予算は百数十万円ということですが、これに対し、杉並は約10倍の高齢者人口がありますので、金額もさることながら、事務量もかなり大変なものになりそうです。
このように量的・質的に事務負担が大きくなりそうな杉並のポイント制度ですが、そのための人件費もばかになりません。区が事務処理するのか、あるいは社協へ委託などを考えておられるのでしょうか。また、これら制度設計上の課題をどのようにクリアしていくのでしょうか。お考えをお聞きします。
●ボランティアがいないと「いい学校」になれない?
次に学校支援について考えてみます。先ほどのポイント制度では、まず1点目「福祉制度の根幹を担保するのはボランティアではない」という指摘をいたしました。学校にもいえることです。
学校をめぐって、昨今いろいろな議論のあることではありますが、要するに設備、教材がととのい、それを教える教員が十分に配置されること、つまりは学校もまた、お金と人につきます。ボランティアはいいことなんですが、あくまでも補完、プラスアルファでしかないということをまず、はっきりさせておく必要があると思います。
2番目に「ボランティアをすることを条件にするのか」という点です。これも共通する問題です。教育委員会は「いいまちはいい学校をつくる」といって、各学校に学校支援本部や地域運営協議会がつくられ、その事業の活発さ、活動量や質によって、学校教育の質が左右されるという方向を推進しています。
多くのボランティアが支える学校は、たしかにいい学校でしょう。しかし、ボランティアをする余裕のある人が少なく、ボランティアがなかなか集まらない地域の学校もあります。その学校は、いい学校にはなれないのでしょうか? それでは困ります。ボランティアなどいなくても、学校の本質は、どこも変わらずしっかりしていないといけないのです。
これらの2点をおさえて、学校支援を考えるとどうも変なところがあります。
●学校支援のメンバー選定に疑問
たとえば、学校運営協議会は学校の方針や人事に意見をいう権限をもっています。学校支援本部は権限こそありませんが、教育委員会と学校の支援のもと、一定のオフィシャルな権威を獲得しています。その中身はボランティアにすぎないのに、です。ボランティアだから責任はとれない、とらない。それなのに権限とか権威をもっている、どうもバランスが悪いです。
なおかつ、学校支援の仕組みは非常に根拠薄弱、あやふやな点が多い。ちょっと教育委員会の意見をききたいのですが、まず、学校支援本部や運営協議会のメンバーの選定です。学校を構成する当事者である教員や生徒・保護者による選挙などの手続きはありません。校長先生や教育委員会が自らの方針に合致する人材を選ぶケースが多く、特定の傾向の人たち、特定のグループの人たちの一種のクラブになりかねません。公平性に問題があるのではないでしょうか。
また、手続きとしては一方的に任命されるわけですから、任命者には逆らえず、学校長や教育委員会と対等の関係とはいえません。校長や教育委員会からみれば、実に使い勝手のいい人材ということになりはしないでしょうか。
●和田中「夜スペ」はボランティアなのか
ボランティアといいながら権限をもたせたり、行政につごうよく、半ば強制のような使い方をしたり、あやふやな位置づけのところに、思いも寄らない問題がおきてきます。和田中地域本部の夜間塾事業「夜スペ」では今、何が起きているか。
「夜スペ」の実行委員会では、受講生の保護者らがボランティアとして活動し、わずか1時間か2時間の見送りや調理などの作業のたびに、1000円、2000円という支払いを受けています。
夜スペの受講料は1か月18000円あるいは24000円なので、受講生の親がこのボランティアを10回もやれば、もとがとれてしまうというしくみになっています。生徒から受講料を徴収していますが、授業を行うサピックスには余りお金をはらっていません。ほとんど「サポーター」の人件費になっています。
ご自分たちで商売をするのなら、どこで何をしてもかまいませんが、「地域本部」と称し「ボランティア」と称して、区立学校という施設を使い、学校が募集をして、学校の信用で生徒が集まっている。それだけの優遇を与えられた上で、お金を集めて自分たちの身内で分配している。このことに公共性、公益性があるのでしょうか。これは、ボランティアなのでしょうか?
こうなるともうボランティアではないですね。あきらかに過剰な支払いをしている実態があるわけです。ボランティア精神とは全く違った世界だと思いますが、教育委員会はどのように認識しているのでしょうか。お伺いします。
●塾に入りたくて来る学校では・・・
しかも、今、全国から和田中におしかけてくる入学希望者の多くは、「半額で塾にいける」ことにひきつけられてきています。学校教育の質で選ばれるのではなくて、塾で選ばれているだけです。
学校支援と称する活動でもみくちゃにされた結果、和田中は塾に入りたくてくる学校になってしまったのが現状であり、非常に残念なことだと思います。このようなケースは極端な例であり、他校の支援本部や運営協議会がこんな状態になっているとは思いませんが、区がボランティアや地域というものを「協働」の名目で都合よく「下請け」に使おうとするものだから、このようなルーズな事態がおこり、杉並区民の伝統であるボランティア精神までも、空洞化することになりかねません。この項の最後に所感を伺います。
