自治基本条例改正案についての意見

杉並区自治基本条例改正案についての意見<br />

松尾ゆりの杉並区議会報告 2009年第4回定例会では「杉並区自治基本条例」の改正が審議されました。2002年制定、2003年施行、「自治基本条例」の名称としては全国初でした。

 今回の審議にあたり、制定時の特別委員会2日間と本会議の議事録、さらに、制定前の一般質問の議事録をすべて読みました。すると議事録では自民党も公明党も「区民に全く知られていない。周知ができてない」「条例は時期尚早だ」と文句言いまくりです。自治基本条例は制定時、非常にもめた条例なのでした。3時間半の休憩の後、修正案を付し、その後本会議では退席者が出る始末。附帯決議までつけて、やっと可決されたのです。

 杉並区自治基本条例の成立は2002年の今頃です。翌年春には山田区長2度目の選挙が待っていました。「レジ袋税」「住基ネット」などで大騒ぎして名前を売った山田区長、選挙前にちょっとネタ切れしてきたところで「全国初の自治基本条例」を売りたかったのでしょう。

 そんな拙速な条例なので、「杉並の憲法」と言われたりするわりには、条文自体日本語として意味が通らないところも。

【資料】杉並区自治基本条例≫

 下記の発言で私は、この条例自体がもともと持っている欠陥、つまり、住民自治の根本を変質させてしまう性格を持っていることを中心に論じました。


杉並区自治基本条例改正案についての意見 12月7日自治基本条例等特別委員会

1.条例の制定趣旨と区民主権について

 議案第61号自治基本条例の一部を改正する条例について意見を申し上げます。まず、自治基本条例の理念、制定趣旨についてです。

 はじめて、この条文を読んだときに、私は非常に違和感を感じました。それは第3章「区民の権利及び義務」の部分です。第4条には「区民は、区政に参画する権利及び区政に関する情報を知る権利を有する」とあり、区政参画の権利と情報を知る権利しか書いてありません。いったいこれだけなのか? 区民は参画の客体なのか、それでは主体は行政ということになるが、主体は区民ではないのか、区民は主権者ではないのかというのが、疑問のはじまりでした。

 また、第5条には区民の義務の中に「区と協働し、地域社会の発展に寄与するよう努めるものとする」とありますが、協働は区民の権利であって義務ではありません。あえて、区民の義務の項に書かれていることに違和感を感じました。

 どうも、この条例自体の、地方自治、住民自治、住民主権についての考え方に非常に大きな誤りがあるのではないかと思われました。

 ありていに言ってしまえば、この条例がつくられた2002年当時の区長、行政、議会の中には、区政と区民とを別のものととらえ、区政は役所を主体に行われているとのまちがった認識があったものと考えられます。それを前提として条文がかかれているということです。

 もうひとつ、こちらのほうがより大きな要素と思われますが、この条例は、制定当時の「官から民へ」の風潮を色濃く反映し、また、その風潮の積極的先導者である山田区長の思想に大きく影響されており、小さな政府と、公共サービスの民営化の根拠付け、また、区民の自主的な活動を行政改革の受け皿にする、私たち区民の間で俗にいう言い方でいえば、いわゆる「行政の下請け」をもくろむものだったといわなくてはなりません。

 こうした内容上の欠陥から、自治基本条例そのものが、「杉並の憲法」と呼ぶには偏った内容であり、かつ、日本国憲法との関係、区民主権の規定、さらに区民主権にもとづいて区議会および区長の地位があることなど自治の根本をおさえる重要な規定がいくつも欠落しています。
 
 特に、区民主権を規定した条文のないことは決定的な欠陥です。

 たとえば三鷹市の条例は前文の冒頭で「主権者である市民の信託に基づく三鷹市政」と規定し、さらに「第5条 市民は、市政の主権者であり、市政に参加する権利を有する」と明確に規定されています。

 杉並の条例制定時、これを盛り込まなかったのは、規定がいい加減だとかではなく、意図的なものであったと思われます。制定時の委員会でも「区民が主体という規定を設けるべき」との質問がなされましたが、その意見は受け入れられていません。それは、区長の思想によるものだと思われます。国民主権を標榜した日本国憲法を好まない区長としては、区民主権をできれば強調したくなかったのでしょうが、それは間違いです。

 自治基本条例というからには、地方自治の権力の根源は区民主権にあり、区民の信託に基づくものであることを明確に規定すべきでした。

 こうした点から、本来ならば、自治基本条例そのものに対し、区民全体の広範な議論を喚起し、大幅な根本的な修正を加えるべきところですが、今回の修正は、あくまでも条例の原則的な考え方を変えておらず、賛成することはできないと申し上げます。

 また、今回の改正についていえば、危機管理に関する条項が追加されたことについて、問題があると考えます。一般の公共サービスに加えなぜ危機管理を特別に追加しなくてはならないのでしょうか。また、国民保護法制との関連で、今後、区民等の責務が追加されるおそれもあり、反対するものです。

2.協働と自治について

 ここで、この条例の特徴であるところの「協働」に関連してのべます。

 区は区民との協働をかかげ、この間、協働化率6割を目指して進めてきました。そこには、行政にかわって住民みずからがサービスの担い手になっていくという目標があります。
 住民参画、協働などといわれると、一見民主的な制度の進展のように感じます。しかし、その中身は、行政の責任放棄であり、小さな政府をめざす行革手法としての民営化にほかなりません。

 「月刊ガバナンス」9月号において金井利之さんという方が次のように述べておられます。
 「近年、各地の自治体では、住民自治組織が自治体行政に依存しないで、課題解決にあたり、公共サービスの担い手となることが、『住民自治』として唱導されている。しかし、これは『住民自治の矮小化』というべき現象である」「住民の意向に従って自治体行政に仕事をさせるという、自治体に対する民主的統制の発想が『住民自治』から消え去っている」
 ということですが、杉並区自治基本条例における住民自治も、こうした懸念をぬぐえないものです。

 まさに、ここに書かれた「住民の意向に従って行政に仕事をさせる」民主的統制こそ「地方自治の本旨」ですが、問題は、その民主的統制がきちんと機能していないことなのであって、区民の自主組織ができ、そことの協働でというのは、あくまで補助的な役割にすぎません。これは住民自治実現の決定的な要素ではないのです。

3.おわりに

 現在の杉並区政は残念ながら、住民自治に反する動きが強まっています。

 幼稚園や図書館、あるいは減税自治体構想について、区長の思いつきで、トップダウンの計画が出され、区民は意見を言っても聞き入れられず、あるいは図書館問題にいたっては、意見募集すらもなく、他方、議会では区長与党を標榜する会派が多数の論理でおしきっていくという、区民主権、住民統治とは反対の方向が強まっています。

 今般の改正にあたり「杉並らしい自治の進展」という表現がありました。しかし、現実は、進展するどころか、原水禁運動の伝統を否定する「つくる会」教科書の政治的な採用にみられるように、区民の自発的な運動を否定、抑圧し、区民に対し、区の下請け的な活動を奨励、あるいは強要してきたのが、制定後6年の経緯であったし、また山田区政10年の経緯でした。

 同時に山田区政のトップダウンの手法は、職員の創造性、柔軟性も奪い、区民運動と連携して、新しいサービスを生み出してきた、杉並区役所のよき伝統も、すっかり疲弊させてしまいました。区民を主体とした、本来の「杉並らしい自治」は危機に瀕していると言わざるをえません。

 住民自治の本質を規定した、全く新しい真の自治基本条例こそが求められています。その議論が区民を主体として起こることを期待するものです。