松尾ゆり
わくわくの日々

杉並区議会女性議員で南相馬市へ(1)
避難解除予定の小高区

●2015-08-14

 杉並区議会超党派女性議員8名で南相馬市にうかがいました。視察項目は「復興の進捗状況」「杉並区との防災応援協定」。現地視察は「南相馬市中央図書館」「被災地(原町区小浜~小高区市街地)」です。

 私自身は震災の年に、個人的に南相馬に伺って以来です。その後の状況を知りたいと思っていました。

 挨拶された市議会議長のお話では、復旧は2~3割というところ。「自然災害には備えることができるが、原発に対しては無力。事故責任の所在が不明確だ」と言われましたが、理不尽な事故に対し、市民も市役所も共有する感情だと思います。

 震災前7万1561人の人口が、現在は6万3205人。うち、市内居住者は4万7000人余りで1万2000人が市外に避難。市内に住んでいる人も、寝泊まりが禁止されている小高区の方々は避難している状態でしょうし、他地区でも自宅が再建できない方がまだまだ多いと思われます。人口が減少、特に若い人、子どもが減ったことで、学校の運営、医療・介護事業の人材不足など深刻です。

 南相馬市の南部にあたる小高区は大半が福島原発から20km圏内として避難指示が出されています。立ち入りはできるものの、住むことはできません。国は来年4月に避難指示を解除する予定で「避難指示解除準備区域」とされています。しかし、本当に帰れる状態なのだろうでしょうか。

 市側からも「復興が進んでいない状況を見てほしい」と小高区をバスで案内してくださいました。市役所の職員さんたちは「来年春に避難解除の予定といっても、とてもそんな状況ではない」と感じているようで、積極的に戻ってきてほしいとPRするどころではないようす。

 それは、放射線そのものの問題というよりは、「これまで立ち入りができなかったためいますぐ住めるような状態ではない。仕事もない。商店もない」「なのに、避難解除で東電の補償金が打ち切られる危惧がある」「補償の関係や相続などもあり、復興作業が進まない」、もちろん「若い人、子どもが帰ってこない」ことは大きいです。橋が落ちたままの河口、壊れたままの家。当時のまま変わっていません。(写真下)

南相馬市

南相馬市

 南相馬市でも、飯舘村でも、あの黒い袋(1トン入りなので「トン袋」と呼ぶそう)がいたるところに積まれていました。そして、あちこちでショベルカーが動いているので、建設作業かと思うと全て「仮置き場」の造成中なのです。なかでも、小高区のなかにある広大な「仮置き場」(写真下)には言葉を失いました。

南相馬市

 いわゆる「中間貯蔵施設」というものに移すと国は言っているわけですが、実際にそれができるかどうかも難しい。双葉町・大熊町にできる予定になっているけど、土地の買収などはこれからとのこと。それまでの間、市では袋の山に土をかぶせ、その上をビニールシートで被覆するのだそう。でもそれ、いつまで続くのでしょうか。

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